きしゃぽっぽかく思う

ふと思ったことを書く雑記ブログ

メンタリストのDAIGOさんが京アニの被害者の実名公表を痛烈に批判

京アニの放火殺人事件で亡くなった25人の実名が公表されました。

今回の事件で実名報道の必要性についていろいろ議論がなされているなか、メンタリストのDAIGOさんがユーチューブでかなり強い口調で実名を公表したことを批判していました。

「被害者の実名を知りたがるのは、書くことがなくて、一人一人の傷ついた体験をお涙頂戴で書いて金を稼ごうとするネタが無いマスゴミだけ」とのことです。

私もどんな人が被害者の実名を知りたがるのかちょっと考えてみましたが、思い浮かびません。

確かにDAIGOさんの言っているとおりかもしれないと思えました。

でも、ちょっと言い過ぎだと思います。

たぶん、そういうマスコミのみなさんは、被害者をネタに記事を書いているという意識はなく、純粋に被害者の苦しみや体験などを伝えたいのでしょう。

ただ、結果的にはDAIGOさんの言うとおり被害者を記事にして報酬を得ているということにはなってしまっていて、それを本人達は気づいていないという感じではないでしょうか。

 

私は今回このように実名報道が議論になっているので、そもそもなぜ実名を公表するのか自分なりに考えてみました。

これは私の勝手な想像なのですが、もし被害者の実名を公表しない場合、普通は被害者の事を調べられないのに、たまたま知り合いか何かで被害者を知っていた記者は記事を書けて有利になります。

また、警察とのつながりを持っている人なども情報を得やすく記事に出来るでしょう。

でも、それではずるいということで、みんな平等に記事にすることが出来るように実名を公表することにしている。

なんか、実はこんなことが真相なのではないかと思ったりしています。

 

なにはともあれ、被害者の実名をわざわざマスコミが公表することの意味はよくわかりません。

もちろん、実名報道が必要とする人達はいろいろ実名報道の必要性について説明はされているのですが、どれも私にはピンとこないというのが今のところの印象です。

ただ、例えば何か事件や事故のニュースを見ていて被害者が聞き覚えのある名前だったとき「もしかしてあいつか」などと思うときがあります。

そういうとき、その聞き覚えのある名前に思いを馳せることが出来るのは、私にとって唯一の実名報道の良い点かもしれません。