投手の投げたいという気持ちと監督の故障させたくないという気持ち
大船渡高校の佐々木朗希投手が高校野球岩手大会の決勝戦に出場せず、花巻東高校に負けて甲子園出場を逃しました。
佐々木投手は中学時代の同じメンバーで甲子園を目指すために、強豪校のスカウトを蹴って地元の大船渡高校に進学したらしいです。
そして3年間、それは大変な練習を仲間たちと積み重ねて昨日の決勝戦を迎えたはずです。
しかし監督は故障を防ぐことを理由に、投げられないわけではないにもかかわらず、佐々木投手を出場させませんでした。
たしかに、数年前から投手の投げ過ぎによる故障を防ぐために、球数制限が議論されるようになってきてはいました。
でも、昨日は決勝戦です。
これに勝てば、おそらく何よりも大事にしてきたであろう甲子園出場の夢が叶うのです。
私はなんだかんだ、こういう極めて重要な場面では、結局多少の故障のリスクには目をつぶり、投げることになるとばかり思っていました。
たぶん、今までの野球選手はそうだっただろうし、野球漫画やドラマでもそういうのがかっこいい事として描かれてきたと思います。
だから、今回の大船渡高校の監督さんの判断はちょっとびっくりです。
この監督さんは選手の将来を考え、高校野球に球数制限を導入することに積極的なんでしょうね。
たぶん、野球界や多くの人をその方向に変革していきたいんではないでしょうか。
今回の判断がそういう流れのきっかけになるかもしれません。
この問題は本当に難しくて、選手にとって何が正解なのかわかりません。
ただ、もし私が大船渡高校の監督だったら佐々木投手を登板させていたでしょう。
たぶん佐々木投手は、少なくともその時点ではすべてをかけてでも投げたいと思っていたでしょうから。
それと私は、佐々木投手と勝負しないで甲子園出場を決めた花巻東の選手の気持ちもちょっと気になりました。
何かしらスッキリしないものが残ってしまうものなのか。
それとも単にラッキーぐらいにしか思わないものなんでしょうか。
彼らのようにすべてをかけて勝負をするなんていうことがない人生を生きてきた私にはとうていわかりません。